全力疾走、ときどき爆睡。

報道記者/NPO法人maggie's tokyo共同代表・鈴木美穂のブログ。あれもこれも追いかけて、きょうも猪突猛進進進!!

最後だとわかっていたから。

心の底から慕い、信頼し、尊敬してやまない恩師とお別れをしてきました。

先生は、私が9年前、記者になって初めて「朝まわり」「夜まわり」(「朝まわり」は朝その方が出てくるところを、「夜まわり」は夜その方が帰ってくるところを、ご自宅の前で待っていてお話をさせてもらうこと)に通った相手でした。

社会に出て間もない、何者でもない私にとって、人生の大先輩、しかも数々の功績を残されて社会の中心で重要な役割を担っている先生のお話を伺いに行くということは、それだけで大きな出来事。

夜通し待って帰ってこなかった日も、私の姿を見つけても一言も話さないで中に入ってしまう日もあったけど、そんな日々の中で少しずつ挨拶をしてくれるようになり、立ち止まって話してくれるようになり、その時間が少しずつ長くなっていき…

「今日もいるのかあ!」という照れたような面食らったような反応がかわいらしくて、知らない世界のお話を伺うのが楽しくて、少しずつ信頼していただけているのがわかって嬉しくて、当時23、24歳だった私は週に3、4回はバカの一つ覚えみたいに(他のご自宅とはしごしながら)先生のところへ通ったものでした。

私がご自宅の前で疲れ果てて立ったまま寝てしまっていたら、「ほらほらボクが帰ってきた事に気づかなかったらいつまでも帰れないでしょうよ」と起こしてくれた日のこと、「年頃の娘が私のところなんて通っていないでデートに行きなさい!」と心配してくれた日のこと。
昨日のように思い出されます。

先生は、どこからどう見てもものすごく偉いのに、おごることなくとってもチャーミングで、懐が深く温かく、私は人としての立ち振る舞いから話の聞き方まで、本当にたくさんのことを教えていただきました。

そして、「記者」という肩書きがあるだけの何の実績もない自分であっても、真心を込めて真摯に向き合い続ければ、たとえ相手がどんなにすごい人でも偉い人でも通じることができるし、「人は肩書きの前にみんな人なんだ」という、その後の記者人生の中で神髄となる大切な信念みたいなものを、先生から教えていただきました。
(それでこんな風な突撃型の記者になってしまいました。もちろんその後、どんなに真心込めても接触さえ叶わなかった相手も少なからずいますが…)

そうやって先生のところに通ってお話を聞くこと半年あまり、私に乳がんが見つかり、すぐに「しばらく通えなくなります…」とご挨拶に行ったら、急に医師として患者さんに向ける眼差しに切り替わり、本当に親身になって相談に乗って下さいました。

それから8ヶ月間の休職中も、何度も気にかけてご連絡を下さり、復帰後、私が別の担当になって先生の夜回りに伺えなくなった後も、仕事でも何度もありがたいご連絡をいただいたし、学会等で私の主治医を見つけると先生が一目散で駆け寄ってきては、私の容態を気にして下さっていたそうです。

 

そんな先生が2年余前に膵臓がんを患われ、去年一時退院された際に訪ねたのが最後となってしまいました。

このときも、ご自身の体調が不安定な中、私のことばかり気にしてくれて、私の近況についてたくさん質問しては本当に嬉しそうに聞いてくれたのでした。

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入院中の弱った姿は誰にも見せたくない、とおっしゃっていたので、この日、私はきっと今日が最後になるかもしれないとわかっていて、楽しくお話して、先生の手を握ってお別れをした後、号泣しながら仕事に戻りました。

そして先週、先生の訃報を聞いてから体調が優れず、今週に入って39度以上の熱を出して寝込んでしまっていましたが、母親に付き添ってもらって告別式に参列してきました。

会場に入りきれない参列者の方々を見て、蒼々たる方々の弔辞を聞いて、私はすごくかわいがってもらったと自負していたけれど、きっと参列している人みんながそれぞれそう思っているのだろうなと思いながら、神様みたいに優しくて穏やかな笑顔で微笑む先生に、誰にも負けないくらい、心からのありがとうを言って帰ってきました。


この仕事をしていると、毎日のように人の死にふれるし、社外活動でも、死の存在を避けては通れません。

でも、周りの誰かが亡くなったときに、後悔しなかったことなんて一度もありません。

名残惜しくないことなんてあるはずありません。

仕事が落ち着いたらお見舞いに行こうと思っていた矢先に…ということも何度も経験して、仕事って、私の人生の優先順位って、一体なんなんだろうと自己嫌悪して自暴自棄になりそうになったこともあります。

先生とも、できればもう一度お会いしたかったし、もっともっとお話したかったし、聞きたいことも山ほどあったし、次の機会に渡そうと買っていたお見舞いのギフトもまだ私の部屋にあるし、とにかく全く恩返ししきれていません。
目を輝かせて「わぁすごいね、楽しみだ!!全力で応援するよ!!」と言って下さっていたマギーズ東京の完成ももう間近だったのに…

だけど、あの日、一時退院できたと聞いて仕事を抜けさせてもらって訪ねられたあの時間は、きっと最後だとわかっていたからこそ、慈しみ深く、貴重で、大切で、宝物のような時間でした。

人生を生きていく中で本当にたくさんのことを教えていただいた先生、本当にどうもありがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。