全力疾走、ときどき爆睡。

報道記者/NPO法人maggie's tokyo共同代表・鈴木美穂のブログ。あれもこれも追いかけて、きょうも猪突猛進進進!!

人生最後の「感謝の会開催のご案内」について、思うこと。

コマツ元社長の安崎さんがおとといの日経朝刊に掲載した広告。

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新聞の「お別れの会」のご案内がよく掲載されている場所に、自身の「感謝の会開催のご案内」を出されていました。
その中で、胆道、肝臓、肺にも転移した胆嚢がんが見つかり、元気なうちにお世話になった感謝の気持ちを伝えたい…と説明されていて、(QOL向上のためにも緩和ケアは受けてもらいたいなと思いつつ、治療方針については別として、)お気持ちがすごくよく分かると思うと同時に、9年ほど前のある日のことを鮮明に思い出しました。

 

2008年、ステージIIIの乳がんを告知されて、転移はリンパ節までだったものの、抗がん剤治療中に高熱を出したことをきっかけに心身ともに弱りまくって、ああ、もう私の人生も残り少ないと“自分なりに”覚悟したときのこと。

これまでの人生でお世話になった大好きな人たちにもう二度と会えないままこの世を去らなくてはならないんだと思ったら辛すぎて、それなら最後に一度だけでも会いたい、出会えてよかった、ありがとうって言いたい…と、安崎さんのように公に告知したり、ホテルで開催したりという豪勢なものでは全くないけれど、ささやかなパーティーを自宅で開きました。

「がんになり、闘病しているけれども体調が芳しくなく、もう二度と会えないかもしれないから、最後に会いたい」と突然連絡がきた友達はどんなに驚いたことか。

急な思いつきの連絡だったにも関わらず、わざわざ遠方から駆けつけてくれた人たちもいて、その時に来てくれたみんなの顔は一生忘れません。
ただ、安崎さんのご案内のような「感謝の会」を開催するだけの力量は24歳の私にはなく、いざ気の知れた旧友に会ったら「なんで死ななくちゃいけないの!」「死にたくない」と泣きじゃくってより心配と迷惑をかけてしまった記憶も残っていて、申し訳ない気持ちも、いっぱいです。

そして、なによりも「最後だと思うから…」と言って呼びつけておいて、その半年後に仕事に復帰し、9年以上経った今、何事もなかったかのようにピンピンしている私…
とてもありがたいことですが、来てくれたみんな、ごめんなさい!

今振り返ると、あのときはただ治療が大変だっただけで、余命幾ばくもない状態ではなかったわけで、無知って、恐ろしくて、恥ずかしいです。

 

でも、突然亡くなる病気や事故や震災で亡くなるときには実現できないものだけれど、もし、がんのように「最後のときがある程度予測できる病気」で死ぬことになる場合には、きっと、私もまた、これまでお世話になった人みんなに最後に会いたくなるんだろうな。

会って、全力でありがとうと感謝を伝えてから、死にたい。

どれだけ先になるかわかりませんが、24歳のときの反省を活かしてもうちょっと心配と迷惑をかけないように気をつけるので、そのときは懲りずに最後のワガママだと思ってお付き合いいただけたら嬉しいです。

 

それよりも前に、この週末、来年秋に挙げようと思っている結婚式に呼ぶ人リストをまずつくり始めたら、「これまでの人生でお世話になった人に集まってもらって感謝を伝える会」という意味ではなんだか近いものがある気がします。
ひとりひとりの名前を書き出すと同時に思い出と感謝の気持ちが溢れてきてしまい、なんだか全然先に進まないけれど…

結婚式は、「これから共に歩んでいくことを決めた人と共に開催できる最初で最大の感謝の会」だと思うと、すごく大切で貴重な機会だなって思って、その準備ができるというだけで感動的で、リストをつくっていても、式場見学に行っても、何度も泣きそうになっています…
というか、すでに、下見先で何度か号泣してしまい、ビックリされています。

でも、すでに、そのくらいの深さで、感謝しています。

 

余談ですが、きょう眞子さまと小室さんの結婚式の日程がわかりニュースになりましたが、こんなに喜んでいる人はいないと思うくらい、嬉しいです。

だって万が一日程が重なってしまったら同僚が誰も来られなくなると思い、眞子さまの結婚式がありえそうな日取りを外すと選択肢がかなり狭まっていたので!

これで自由に選ぶことができるなぁって、勝手に嬉しいのです。

完全私目線!今週末オススメの過ごし方♡

最初に謝っておきますが、どんなオススメの過ごし方だろう?と思ってこのブログを開いてくださった方、ごめんなさい!
こちら完全に私目線の10月28日(土)の「マギーズ東京のイベントの楽しみ方ガイド」…というかなんというか、宣伝かな。笑

 

たくさんの方々のお力をお借りしてマギーズ東京をオープンして、今月で1年。
これまで6000人以上の方々にお越しいただき無事1周年を迎えられたことを記念して、 10月28日(土)11時~17時、周辺の施設と協力して、どなたでも無料でご参加いただけるフェスティバル ~HUG YOU ALL DAY 2017~を開催することになりました。

 

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こちらの長細い写真は、昨年同じ場所で開催したオープニングイベントのときのもの。
このときはまだ周辺の土地はがらんどうで、マギーズ単体で開催したのですが、この1年で次々と楽しい施設が建ち、この度マギーズ東京1周年を契機に、初めて皆で一緒にフェスティバルを開催できることになったのです!

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昨年10月オープンしたマギーズ東京♡

 

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それぞれの施設の代表者の方々とも顔を合わせてミーティング。

 

マギーズは、がん患者さんやご家族が戸惑ったとき、不安に思ったときにいつでも自由に訪れ、医学的知識の豊富な専門家と納得がいくまで話したり、情報を整理したり、ゆっくりすることで自分の力を取り戻すための場なのですが、今回は他の施設でも色々楽しめると思うので、自分はがんとは関係がないと思っているような方にも是非お越しいただきたいです。

というのも、いざ必要なときに知らないと訪れることはできないし、知っていても最初に訪れるのって、結構勇気がいったりするものだと思うからです。

 

当日のご案内はこちら。
http://maggiestokyo.org/2017/10/20/news-17/

◎日時:10月28日(土)11:00~17:00
◎会場:マギーズ東京(江東区豊洲6-4-18 ゆりかもめ「市場前駅」徒歩5分)
◎参加費:無料

 

これを見て、「11時から17時までということはわかったけど、それで、いつ行けばいいの?」という方もいらっしゃると思います。

どの時間でも大丈夫ですが、よかったら是非午前11時にお越し下さい!
フェスの入り口付近のステージで、スクール☆ウォーズの主題歌「ヒーロー」などで有名な歌手の麻倉未稀さんがオープニングを飾ってミニライブを行ってくれることになったのです。

 

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事務所の方からいただいた麻倉未稀さんのお写真。

麻倉さんとの出会いは、今年4月、麻倉さんに乳がんが見つかったとき、麻倉さんと一緒にお仕事をしたことがあった私の会社の先輩が、「私の後輩に乳がんを経験して今元気に働いている子がいます!」と送ってくれたというこちらの記事がきっかけ。

http://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/031800062/091500024/?ST=mobile_f
ここでマギーズを知ってくださった麻倉さんが、治療開始前にマギーズを訪れて下さり、週末のオープンマギーズにも寄ってくださり…今回ミニライブで歌って下さることになったのです!

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目がキラキラしていて、気さくで温かい本当に素敵な方です♡


その後、11時半頃までは、マギーズ東京の秋山センター長も参加しての各施設代表者のミニトークショーがあります。

わたしは司会的な役割をするので、それを聞くとこの新しいエリアの全体像が分かった上で、フェスティバルをよりお楽しみいただけるようなものにしたいと思っています!
ちなみに、これと同じミニトークショーを14時にも予定しています。


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マギーズの右斜め前にできた「サイタブリア」の石田社長と、お隣のランニングステーションの中にできた「義足の図書館」の遠藤代表。
このエリア一大きな「オールラウンドシアター」や、マギーズのお隣の「マイビレッジ」の方々もいらっしゃるので、マギーズの周りには一体どんな施設があるのか、その日何ができるのがわかる約15分間にします!

 

そして、11時半からは、マギーズ東京のお隣にオープンしたランニングスタジアムにて、日本人として初めてメジャーリーグトレーナーで「GRIT NATION」共同創業者の友岡和彦さんがダルビッシュ投手を始め一流アスリートのパフォーマンスを高めてきたプログラムを一般公開。
ご参加いただくには参加費が2000円かかりますが、なんと、参加費は全額マギーズ東京にご寄付いただけるそうです。

「GRIT NATION」さんは、わたしも大ファンの新感覚ジム。

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通常はこんな価格では受けられず、事前予約をするとさらに500円割引、ヨガとサーキットトレーニングを組み合わせた誰にでもできる楽しいプログラムだということで、私も参戦します!
よかったら是非事前予約をお願いします!
http://peatix.com/event/312324

 

そして、お腹がすいてきたら、マギーズ東京の前にご出店いただく日本橋の人気フレンチレストランLA BONNE TABLEによるキッチンカーへ。

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こちらの飲食代の一部も、マギーズ東京へのご寄付になります。

…ということで、当日の参加費は無料ですが、お金を払ってプログラムに参加したり飲食したりしていただくと、マギーズ東京へのご寄付にもなる仕組みを皆さんが一緒につくってくださっているんです。

そして、マギーズの前には、オリジナルブースも出し、一冊300円で全額マギーズへの寄付になる雑誌「HUG」や、1周年を記念してつくった限定オリジナルチャリティグッズもご購入いただけます!

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ぜひ読んで欲しい「HUG」は、オープン一周年記念号ができました!

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新ロゴチャリティグッズも登場!

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日本橋榛原さんによるマギーズ東京オリジナルレターセットとハガキセットはスタッフも見た瞬間みんな買ってしまう可愛さ。

 

また、もちろんお金を一切払わないでお立ち寄りいただくだけでも、大歓迎です!

マギーズ東京は時間内いつでもご自由にご見学いただけ、マギーズが何かが分かる ”what’s maggie’s”と題したミニプレゼンも1時間毎に予定しています。

そして、周辺施設にもこんなに一度の機会で入れることはなかなかないので、是非まわってみてください!

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別の施設お目当てで来ていただき、マギーズにも寄ってみようという方も、お待ちしております。

予約なくどなたでもご自由にいらしていただけますが、人数を把握するため事前に下記URLの「参加」ボタンを押していただけるとありがたいです。
https://www.facebook.com/events/1359090147534249??ti=ia 

 

このマギーズ東京1周年記念フェスティバルは、
今月9日の講演会、10日のパーティーに続き、
一連のマギーズ東京1周年記念イベントのファイナルになります!

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今月9日のマギーズ東京一周年記念チャリティ講演会。

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10日のチャリティパーティ。

 

私は28日(土)は11時から17時ずっといるので、いらっしゃった際にはお声がけくださいね!

ちなみに、29日(日)にもフェスティバルは続きますが、マギーズはその日は頑張らずにいらした方にご対応させていただく形です。

 

台風の影響で大打撃を受けないことを心から祈りつつ…
皆さんとお会いできるのを楽しみにしています!

 

死ぬときに、遺せるもの。

きょうは、大切な友達の四十九日です。

 

マギーズ東京発の雑誌「HUG」の表紙を手がけてくれたデザイナーの綾仁麻衣子さん。

今月発行した2号目のいくつか表紙のデザイン案を送ってくれて、そこから一緒にひとつの案に絞った矢先に、先月、雑誌の完成を見ることなく、29歳で旅立ちました。

 

フリーランスのデザイナーをしていた麻衣子さんと出会ったのは、1年半ほど前のこと。
マギーズ東京オープンと同時に、マギーズまでこられない人にもマギーズの温かさが届けられる雑誌を創刊したいとfacebookプロボノ編集チームを募集してみたときに、参加したいと連絡をくれたのがきっかけでした。

会ってみると、可愛らしさもありながら、自分を持っていて、凜とした女性。
聞くと、26歳のときに転移した乳がんが見つかり、治療を続けている中でマギーズ東京を建てるためのクラウドファンディングを知り、進捗を楽しみにしてくれていたとのこと。

 

マギーズは、がん患者さんやご家族のためのものですが、それを支えるプロボノやボランティアは、当事者ではない方が大半で、基本的には当事者であっても治療からだいぶたって心身ともに落ち着いている人にお願いすることにしていたので、「まずはご自身を優先して、センターを訪れてくれるだけでありがたい」とお気持ちだけありがたく受け取ろうとしたところ、「作品を制作する『生産活動』をしていくことが自分のためにもなるからぜひ参加させてもらいたいんです」と。
そうして治療を続けながら、時に彼女自身がマギーズを訪れながら、マギーズ東京オープン日に創刊した「HUG」創刊号の表紙のほか、マギーズ東京のオリジナル商品の開発にも携わってくれていたのでした。

 

そして、今年に入って体調が優れないと一旦プロボノをお休みしていた麻衣子さんから突然、「これ以上治療はないと病院から見放されてしまい、もう死ぬのを待つしかないみたい。会いたい」と連絡をもらい、ご自宅を訪ねたのは今年6月のこと。

まだできることはあると紹介した病院に転院して、緩和ケアなどで一旦体調が落ち着いたという報告と共に、「この繋がった命を還元したいから、HUGでできることがあれば協力したい!」と元気いっぱいに連絡があり、新しい「HUG」の表紙もデザインしてもらって、紙面に登場もしてもらって、一緒に出来上がりをめちゃくちゃ楽しみにしていたのでした。


同時に、「HUG」のプロボノ編集チームにいるライターさんのweb媒体で連載を始めたり、同じくチームにいるウェディング雑誌の編集者さんから紹介してもらって恋人とウェディングフォトを撮ったりして、それを生き生きと嬉しそうに報告してくれて、ものすごい命の輝きを放っていました。

 

そんな中で、突然病状が悪化したと、彼女の恋人から訃報のご連絡をいただき、どんなに頑張ってもマギーズにもわたしにも命を救うことはできないという現実と、無理をさせてしまったのではないかと自責の念にかられ、ただただ呆然としていました。

初めてマギーズを投げ出したくも、なりました。

 

でも、お通夜に参列したときに、その気持ちを、彼女自身が和らげ、救ってくれました。
そこには、彼女が、残された人たちのために遺してくれていた彼女の作品が、たくさんありました。
その中に、6月に彼女のお家でふたりで撮った写真や、「HUG」のミーティングの写真がメッセージつきで大切に製本されているのを見つけ、涙が止まりませんでした。

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また、下記は、「私が死んだらお葬式で掲示し、Facebookにアップして欲しい」とご家族に頼んでいたという文章です。
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【綾仁麻衣子本人より大事なお知らせ】
綾仁麻衣子は、29年の人生を終えました。26歳のころから乳がんを患い、様々な治療を行いながら延命しておりました。
乳がんになったことで知り合ったピンクリングやマギーズ東京など、沢山の方々にも出会うことが出来、最後の数年はぎゅっと詰まった日々でした。ガンに関する雑誌「HUG」のデザインに携わったり、晩年には、「広林依子」という仮名でハフィントンポストのブロガーにも選ばれ、ガンに関するブログを綴らせていただいて、朝日新聞に紹介されたり、インタビュー記事になったりしました。
http://www.huffingtonpost.jp/yoriko-hirobayashi/
そして、相棒の「くまちゃん」とウェディングフォトも撮ることが出来、前向きに治療を行っていました。

生産活動と名付けていた制作ですが、作れば作るほど生は延長されるので、私が作ったブログなど、読んでいただけるとうれしいです。

皆様が私の作ったものを見て、生き続けていくことが、私への供養になります。

最後に皆様、29年間、私の人生にお付き合い頂きどうぞありがとうございました!
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死と真っ正面から向き合い、遺せるものを考え、「作ったもので生き続けていく」ことを実行した麻衣子さん。

また、お通夜の後、ご家族や恋人から、マギーズや「HUG」のことをいつも嬉しそうに話してくれていたことや、最後は恋人に「言うべきことあるでしょ?」とプロポーズさせてめちゃくちゃ幸せそうだったと聞いて、また「本当によく生きた!」「麻衣子らしい人生だった!」と話すご家族や恋人の愛情溢れた優しい顔を見て、最後までかっこよすぎる生き様と素晴らしい贈り物を遺した死に様に、わたしもいつかそのときがきたらそんな風にありたいと思いました。

 

そんな彼女の生き様や考えを、ぜひ読んでみてください。
http://www.huffingtonpost.jp/yoriko-hirobayashi/

また、「HUG」は、麻衣子さんや素晴らしいプロボノ編集チームとものすごい愛情を込めて創刊し、新しく出た号は、色々な意味で泣きながらつくった一冊です。

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今週土曜日のマギーズ一周年記念フェスティバルでも、通常のオープン時でも、ウェブでもご購入いただけ、丸々マギーズの運営費としてのご寄付になります。

http://maggiestokyo.org/2017/10/20/news-17/

http://maggiestokyo.org/donate/

ぜひお手にとっていただけたら嬉しいです。

 

記者という本業でも、がんという病と向き合う社外活動でも、「生きる」「死ぬ」と向き合わざるを得ない日々で、変えられない現実に打ちひしがれることも多いのですが、麻衣子さんが亡くなってからこの四十九日の間、いつか必ずくる自分の番がきたときに誰に何を遺したいのか、それを遺せる自分になるためにはどう生きたらいいのか、家族や大切な人と先にお別れしなくてはならなくなったときにどう見送ってもらい、どう生き続けたいのか、すごく具体的に考える機会が増えました。

 

憧れるほどカッコよくて気持ちのいい生き様を貫いた彼女について、ご家族や恋人に伝えていってくださいと言っていただいてからこれまでうまく表現できなかった思いを、いまだうまく表現できないながらに、書きました。

 

人生で大切なことを教え、遺してくれた麻衣子さんは、わたしの中でもずっとずっと、生き続けます。

Marching Onー 自分らしい地図を描いて。

「がんになるということは、地図なしで敵陣にパラシュート降下するようなものだ」

 

今、マギーズセンターの発祥の地、スコットランドに向かう飛行機の中でこれを書いています。
夏休みをいただいての渡英。

マギーズ東京がオープンしてから初めてのマギーズ本国での研修を受けるためです。 

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冒頭の言葉は、マギーズセンターの発案者であるマギーさんが遺した文献で紹介している、Dr. Michail Lernerが「Choices in Healing(The MIT Press)」という本の中で書いたもの。

本当に、その通りだと思います。

 

道もコンパスも地図もなく、敵がどのくらい強くて、味方がどこにいるのかもわからない。
そこがどんなところかの知識も全くなく、道なき道をいくトレーニングを受けたこともない。
そこを抜け出したくても、どっちに向かえばいいのかすら、わからない。

 

マギーズセンターは、そんな敵陣だと思っていた場所で、自分らしい地図を再び描くお手伝いをする一軒のお家。
独創的で驚きがあり、木のぬくもりと光が溢れ、全ての人を優しく温かく迎えてくれるー

 

マギーズセンターを発案したマギーさんは1988年に乳がんになり、1993年に再発が分かりました。

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 そのときに医師から「残された命はあと3〜4ヶ月です」と告知され、何の質問もできないまま、「すみませんが、廊下に移動していただけますか?たくさんの患者さんが待っているので…」と言われたそうです。 

 

マギーさんは、夫のチャールズさんと共にありとあらゆる本を読み、海外を含めた乳がんの専門家に電話をかけまくり、ありとあらゆる代替療法も検討し、自分に合った支持療法を模索したといいます。
能動的に治療をしようとする中で、ホンモノだかニセモノだか分からない“治療法”が洪水のように襲ってきて、それは役に立つどころか、信頼できる人の助けなしでは溺れてしまいそうになり、強く思いました。

 

「がんの治療中でも、患者ではなく一人の人間でいられる場所と、信頼のおける知識を持った友人のような道案内がいてくれたら…」

 

結局マギーさんは、後に第一号目のマギーズセンターが隣接してできる、エジンバラのウエスタン総合病院で、転移性進行乳がんの治験があることを知り、その治験を受けることができて、そこから2年、明るく強く穏やかに、生きました。

 

その間、マギーさんが最期まで青写真を描き、その思いを受け継いでマギーさんが亡くなった翌年の1996年に夫のチャールズさんとマギーさんの医療チームが力を合わせてオープンさせたのが、エジンバラのマギーズセンターです。

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訪れたひとりひとりの思いを決して否定せず寄り添いながら、とことん話に耳を傾け、役立つ情報を提供し、孤独感を和らげ、その人が自信を持って歩める地図を描いていけるように。


わたしがマギーズセンターとマギーさんを知ったのは、乳がんになってから6年の月日を経た2014年。
幸い再発はしていないものの、マギーさんのストーリーを知るにつけ、マギーさんの経験、問題意識や思いと自分のそれとが重なり、ああ、わたしはマギーさんの思いを日本で引き継いでいく運命なんだなと、勝手ながらとても強く感じました。

 

そして、第一号のエジンバラセンターがオープンしてから20年遅れて昨年10月、マギーズ東京がオープンし、ようやくスタートラインに立つことができました。

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この月曜日から始まる一週間の研修では、少しでも多くのことを吸収して、成長して、少しでも多くのことを日本に持ち帰りたいです。


最後に、これを書いていて、ふと思ったことがあります。

マギーズセンターと出会ったとき、私はもう自分のがんのことはすっかり乗り越えていたつもりでいたけれど、どこかで自分が若くしてがんになった意味を問い続けていました。
マギーズセンターは、その意味づけを私にさせてくれました。
そして、大好きな仲間とたくさんの方々に支えていただきながらマギーズ東京をつくっていく夢のような準備中も、無事オープンできた喜びも、訪れて下さった方々が変わっていくのを見る感動も、ひいひい言いながら運営している苦労でさえも、全てが愛おしく、闘病中に経験した死の恐怖や苦しみや「なぜ自分が?」という問いも、をすーっと浄化していってくれるような感覚がするんです。 

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そういう意味で、マギーズセンターは、わたしにとっても、がんになったあとの自分らしい人生の地図を描くお手伝いをしてくれている存在なんだな、と。

 

自分らしい地図を描くということは、限りある命ととことん向き合って、納得感を持って自分の道を選び、人生をデザインしていくということ。

 

欲張りなわたしは、そうして描いた大きすぎる人生の地図を味わい尽くしたくて、「全力疾走、ときどき爆睡」しながら、これからも歩み続けていこうと思います。

大好きで、忘れられない、感謝の2016年。

2016年もあと少し。
 
私にとって2016年は、これまでの人生で一番幸せで、感謝の気持ちでいっぱいの年でした。
 
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本業では、入社以来念願だった厚生労働省記者クラブに2年半務めさせていただき、とてもやりがいのある記者生活を送りました。
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11月、厚労省記者クラブ最終日に。
 
好きな特集も数本制作させていただいたほか、7月10日の参院選挙特番を担当したのも今年だったなんて…なんだかとても昔のことのようです。
そして、社会部文科省クラブ、政治部官邸クラブ、与・野党クラブ、都庁クラブ、厚労省クラブ…と外の記者クラブを経て、今月約7年ぶりの本社勤務へ。
突然の担務変更の内示があり、来年からは記者と兼務して新たな仕事も始まります。
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今年最後の仕事は、そのご挨拶でした。
 
そして、今年何より大きかったのは、闘病中の自分がまさに必要としていた英国発祥、がん患者や家族が自分の力を取り戻す居場所「マギーズセンター」の日本第一号、「マギーズ東京」元年となったこと。
2008年に乳がんを経験してから8年、あの頃の辛くて悔しかった思いを、マイナスだった経験を、ようやく誰かのために活かせるようになったと思えるようになった年でした。
 
1月の着工式と共に幕を開け…
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3月、建物の半分が完成して引き渡されて…
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4月には皆で壁に思いをしたためて、塗りました。
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そして、ゴールデンウィークには、本場英国マギーズセンターへ視察と研修に。
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5日で7都市のマギーズセンターを巡りました。
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帰国してすぐに開催したチャリティーパーティーで、オープンの日を発表。
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ここからオープンまでは、時に本業との両立に悩みもがきながら、仕事後に疲れた体を引きずってマギーズの会議に行き、社会人生活で一番いっぱいいっぱいの日々を送っていた記憶があります。
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でも、それぞれプロフェッショナルな本業を持つチームのみんなから、いつも元気をもらっていました。
そして、多くのボランティアのお力もお借りして一丸となって歩んだ時間は一生の思い出。
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ボランティア説明会。
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オープニングイベントの打ち合わせ。
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9月に建物が完成して、調印。
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そして10月10日、本当に本当に多くの方々に関わっていただき、支えていただき、オープンしました。
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オープニングには、塩崎厚生労働大臣や英国マギーズセンター幹部などにもお越しいただき、1100人を超える方々がお祝いに来て下さいました。
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マギーズ東京発の雑誌「HUG」も創刊。
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各紙新聞やテレビ、雑誌など多くのメディアに取り上げていただきました。 
個人的には、実は昔から憧れがあった朝日新聞の「ひと」欄が、特に嬉しかったです。
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おかげさまでセンターオープン後の運営も順調に始まり、オープンからの1ヶ月、平日午前10時〜午後4時までの間に全国からおよそ600人の方々がご相談にいらっしゃいました。
心の底から信頼のおけるチームに現場運営を任せながら、センターを育む段階へ。
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おととい今年の運営を終えて納会を行ったところですが、本業のためなかなか平日の運営時間には行けない私も、いかに多く方々に必要とされ、愛されているかを見たり聞いたりするにつけ、これまでの疲れは全て吹き飛び、癒され、感動し、感謝の気持でいっぱいになっています。
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そして、今年は、マギーズ東京のおかげで人生が変わったといっても過言ではないくらい、初めての経験をたくさんたくさんさせていただきました。
 
G1 U40や、新公益連盟に参加させていただいたことで、心から尊敬できる人生の先輩方や同志に出会え、視座も、視野も、一気に広がりました。
 
この夏に初参加させていただいたG1 U40。
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多くのことを学ばせていただいている社会貢献団体の連合、新公益連盟。
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桜を見る会や、首相公邸での懇談会、本業で取材させていただいていたような委員会に委員として参加させていただける機会も初めてでした。
 
桜を見る会、両端の両親にも少しは親孝行できたかな。
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初、首相公邸。
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厚労省管轄のPMDAの委員会にて。
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講演も、多いときには週末に3本はしごをしたりして、多くの方々に思いをお話する機会をいただきました。
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一番大きかったのは、お客さまが約3000人!   
 
スーパー大学生向けの突き抜ける人財ゼミでは、逆に刺激をいただきました。
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10近くの学会に、出させていただきました。
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READYFORさんの式典にて。
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他局のNHKさんのスタジオや社内勉強会にお邪魔させていただくという前代未聞の出来事もあり、私にとっては、これまでのハードルを色々な意味で突破できた年にもなりました。
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そして忘れてはいけない!
マギーズ東京がきっかけとなり、思いがけず親友と男友達をくっつけるキューピッドにもなってしまいました!笑
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バリでの幸せウェディングにも参列♡
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そして、最後には、日経ウーマン・オブ・ザーイヤーの「チーム賞」をいただいて、全てが「チーム」の力で成り立ってきたマギーズをそのまま評価していただけたような気がして、本当にありがたく、嬉しかったです。
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ブログのタイトル通り、「全力疾走、ときどき爆睡」を体現したような一年。
こうして一年を振り返っても、振り返らないで普段の生活の中でも、本当に多くの方々に支えてもらって、充実して、幸せで、幸せすぎて罰が当たるのではないかと思ってしまうくらいの一年でした。
今月には、左胸にしこりがある気がして不安な気持で過ごした日々がありましたが、それはそんな不安の表れだったのかもしれないと思います。
怖かったけれど、ただただ「生きたい」と祈る日々は、いまここに生きていることに心から感謝する気持を取り戻すきっかけになりました。
 
結果、何事もなくてよかったです。
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主治医と^ ^
 
そして、これまでの猪突猛進する時間を経て、自分にとって誰が、何が、本当に大切なのか、少しずつ見えてくるようにもなりました。
今年までは挑戦できることには可能な限り全て挑戦して、色々なことを始め、人間関係も広げてきたのですが、荒削りなってしまったり、体力的に辛かったりしたことも多々ありました。
だから、来年からは、広げることより深めることを意識して、いま見えている、私にとって本当に大切な人、こと、時間にもう少しフォーカスして、もっともっと大切にしていきたいと思います。
今年は特に、人に助けてもらってばかりで、恩ばかりいただいてきたので、来年こそは恩返しを始めていきたいです。
 
あと、今年はマギーズ東京オープンに合わせてダイエットを始め、何気に8キロダイエットに成功☆
来年は今年酷使しすぎた体をもう少し大切にして健康第一、美容にももっと気を使ってキレイになれたらいいな。
 
とにかく大好きで、忘れられない、感謝の2016年。
お世話になった皆様、本当に本当に、どうもありがとうございました!
 
今年が終わってしまうのがとても寂しいけれど、来年も、きっといい年に♡
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 
ここまで長文を読んでくださってありがとうございます。
皆様、良いお年をお迎えください^ ^

左胸の異変が、教えてくれたこと。

こちらの前回の記事の続きです。

suzukimiho.hatenablog.com

書いていたら耐えきれないほど眠くなったために《後半に続く》としたのですが、気になるところで切ってしまったために、「続きは?」とたくさん連絡をいただき、会う人会う人に「大丈夫?」とご心配いただいてしまいました。

ごめんなさい。

_____________

24歳のときに右胸の乳がんの治療をしてから8年半。

ジョギング中に左胸に痛みを感じ、しこりのようなものを見つけた私は、意を決して病院に行きました。

「鈴木さん、どうぞー!」

涙が出そうになるのを深呼吸でかき消して、診察室へ。
 
ここで再発や転移がわかったら、今後の人生にとってとても重要な日になる。
でも、もしそうなったら、8年半前のように変えられない事実を前に泣き暮らすのではなく、貴重な経験としてその後の人生の糧にして、他の人のためにもなれるように、なんとかしたい。
去年放送した闘病の記録を紐解いたドキュメンタリー番組 放送内容|リアリTV|日本テレビ の続きをつくるのもありかもしれない。
そんな風に最悪の事態に備え、念のためカメラをまわしてもらいながら、入りました。
 _____________
 
事情を話して、まずは、触診してもらうと、主治医は開口一番、「これは、しこりじゃないと思うけどなあ、でもちゃんと調べようね」と言いました。
 
「しこりじゃないと思う、しこりじゃないと思う…大丈夫かもしれない…!」
触診の段階で主治医の顔が曇るイメージを何度もシュミレーションしていた私は、この一言にすがるような思いで、マンモグラフィ、エコーやレントゲンなどの検査を受けました。
 
私は24歳のときの検査で目の前が真っ暗になった経験がトラウマとなり、検査が大大大嫌いです。
誰かに相談されると、「すぐにちゃんと検査してもらった方がいいよ」というくせに、自分のことになると怖くて。
その上、忙しさにかまけて、恥ずかしながら、気付けば最後の検査から1年半も経っていました。
 
異常を感じて初めて受ける検査が、こんなに怖くてしんどいなんて。
エコー検査をしてくださっている技師さんの手が止まって画像をとる度に胸がドクドクしました。
何をするにも、健康が第一だって痛いほど分かっているはずなのに。
ものすごく、反省しました。
 
そして、検査の結果…
しこりは見つかりませんでした。
そして、その検査の途中くらいから、なんと10日間も続いていた痛みがなくなり、自分で触ってしこりだと思っていたものも、なくなっていました。
 
ただ、以前までの画像と比べて明らかに乳腺の密度が濃くなっていて、ホルモンバランスの影響じゃないかな、母乳をあげる準備が整ったのかもしれない(結婚さえもできていないのに…!)ね、なんて話をして、おかげさまで、「よくて再検査」と覚悟していた私にとって想像さえしていなかったレベルの最高の結末でした。
 

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命の恩人の主治医と。
 
ただ、今回の「左胸の異変」事件では、いっぱい考えたし、神様からの忠告や警告もあったんじゃないかな、と思います。
 
とにかく今、私はすごく幸せで、今の人生をそのまま生き続けたい。
仕事について、マギーズについて、プライベートについて、いつも試行錯誤している中で、心からそう思えたことは、何より嬉しい発見で、迷いが消えていきました。
 
そして、命さえあれば、どうにでもなるから、神様どうか生かして下さい…
そう強く願い、祈った日々は、私に色々な感情を思い出させてくれました。
 
乳がんを告知され、闘病していたときの「生きていられさえすればそれだけで幸せ」という気持ち。
それが時が経つにつれ、のど元を過ぎ、どんどん欲望や願望が上乗せされて贅沢になっていって。
人を羨ましく思ったり、もっとできるはずと自分を追い込んでしまったり。
いつの間にか、「幸せ」を感じるハードルもあげてしまっていたかもしれません。
 
だから、今回の出来事があって、私は今、改めてこの日々をそのまま生き続けられるということに、ただそれだけで、ものすごく幸せを感じ、感謝しています。
 
欲張りすぎて遅番や泊まり勤務の間にも予定を埋めまくってしまった結果、気付けば3日間ほとんど寝る時間がなくて眠るのか倒れるのか分からないような状態でようやく寝床にありついた…という先週末のようなことにも今後ならないように、気をつけようとも思います。
 
最後に、今日は、乳がん闘病から1年ほど経った8年前に立ち上げたSTAND UP!!の集まりでした。
今では35歳以下でがんを経験したメンバーが500人を越え、今日はその5分の1くらいが参加してくれました(全国にメンバーがいるのに東京の開催で、来られなかったメンバーの方々、ごめんなさい…)。
 
この写真はSNSがOKなメンバーで撮った写真です。

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がんになったって夢を持って生きていこう、立ち上がっていこう↑↑の上々ポーズです。
 
当時、同世代で同じ経験をした仲間が欲しくてつくった団体で、今は私は元患者として新たな患者仲間を励ますような立場に一見なってしまっていますが、今回の一連の出来事の最中、この「仲間がいる」ということにどれだけ励まされ、支えられたか、計り知れません。
がんになっても、再発転移をしても、人生は終わりじゃないということを、身をもって教えてもらっています。
 
そして、明日の日曜日は、朝9時から午後5時くらいまで、マギーズ東京にいます。
このマギーズも、私自身にとっても、ものすごく心強い存在です。
 
朝は理事会ですが、午前11時からは午後5時までは、どなたでも見学や相談にいらっしゃれるオープン・マギーズの日なので、良かったら遊びにきてください♡
 
ずっと書かなくちゃと思っていたこのブログの後半も書けて、今夜はゆっくり眠れそうです。
おやすみなさい^^

左胸の異変に、考えたこと。

突然左胸に異変を感じたのは、先月29日(火)のことでした。

仕事から帰宅して、目黒川沿いをジョギングしていたときに左胸に感じた、いつもとは違う重みと痛み。
嫌な予感がして、帰宅して恐る恐る触ってみたら、しこりと思えるようなものに触れて、意識が遠のいていきそうになるのを必死でこらえました。
 
2008年、24歳のときに右胸の乳がんの治療をしてから8年半。
乳がんから「卒業」といえるようになるまであと1年半というところで、もしかして今度は左胸に・・・?
 
きっとそうだ・・・
なんだか右胸にしこりを見つけたときと似ているような気がする。
あのときも、前日までは何の予兆も感じず、突然だった。
 
・・・いやいや、気のせい!心配しすぎ!
きっとただ生理とかホルモンバランスの関係で胸が張っているだけだ!
 
ぐるぐると色々なことが頭を巡るけれど、どんなにしこりと思えるような部分を触って考えてみても残念ながら私がこたえを出せるたぐいのものじゃない。
でも、悪いものだったら、知るのが怖くて、知りたくない。
でも、もし悪いものだったら知らないまま放置しているほうが、もっと怖い。
 
ぐるぐるぐるぐるしながら、手帳を見たら、10日後の12月9日(金)なら誰にも言わずに仕事を休むこともなく2時間くらい病院に行く時間がとれそう。
よし、もしそれまでに解消していなかったら、検査に行こう。
 
そう決めてからの10日間は、すごくすごく長かったです。
 
明日起きたら異変は消えてなくなっていますように。
そう祈るような気持ちで眠りについて、毎日朝起きては左胸を触り、異変が変わっていないことにがっかりしながら出勤していました。
それどころか、数日すると、しこりも痛みも強くなっていて、扁桃腺も腫れだした。
そして、何らか関係があるのか、ストレスからか、口内炎とものもらいまで出てきた。
いろんなデキモノを気にしながら、背筋が寒くなって仕方がない。
 
なんだか、2016年、いいことが起きすぎて幸せすぎて、大どんでん返しがあるんじゃないかと怖かったんです。
その予感は、これなのか・・・
検査に行く前日には、もう、悪い結果が出る気しかしていませんでした。
 
きっと明日、告知をされて、また闘病が始まることになる—。
そう思ったときに、頭の中をたくさんの考えが巡りました。
 
まず、マギーズ東京をオープンできていて良かったということ。

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きっと通うことになるだろうし、あそこにあると思うだけでちょっと落ち着き、安心する。
マギーズは、自分の闘病中と同じように戸惑い、苦しんでいる人たちのために・・・と言ってやってきたけど、自分のもしものときに備えるためでもあったのかもしれない、と気付きました。
そして、がんについて、私は自分のことになるとまだまだ怖くて乗り越えきれていないんだな、と痛感。
こんなに医療は進歩して、効く薬も日進月歩で開発されて、どんな状況でも、希望はあると思っているのに・・・
その一方で、こんなにも仲間がいる中で8年半前の取り乱した自分とは全く違う自分で向き合っていくことはできそうだな、とも思いました。
 
そして、その後出てきたのは、後悔の念。
 
もっと親孝行しておけばよかった。
結婚して(もらって)みておきたかった。
世界をもっと旅して目に焼き付けておくんだった。
やろうと意気込んでいたことを早く進めておくべきだった。
調べることさえ怠っていた保険に入っておけば良かった。
いっそ、がんと診断されたらチャラになるローンなどを組んでお家を買っておけば良かった。笑
 
もしも・・・のときって、心の深層で考えていることが湧き出てくるから、不思議です。
そして、ぱっと浮かんだ内容は玉石混合ですが、すべて、やって後悔したことではなく、やっていなくて後悔したことばかり。
 
でも、もっとあの治療をしておけばよかったとか、こんなに忙しくしなければ良かったとか、体を酷使しなければよかった、という思いが一切起こらなかったのが、意外でした。
毎日精一杯全力で生きて、全力で爆睡して、私なりに体に気を使って食事に気をつけたり運動したりもするようになって、そのときそのときの最善を選択してきたつもりだから、もしそれでまた改めて闘病をしなくてはならない結果になったらそれはそれで運命だと受け入れよう、と。
 
この世界が大好きで、まだまだここにいたくて、まだまだまだまだやるべきこともやりたいこともありすぎて、死にたくない。
でも、8年半前に死をとても身近に感じるようになってからは、今この瞬間もなかったかもしれない人生を生きていて、どんなに病気になりたくない、死にたくないと祈って願って懇願しても、そうなるときはそうなるし、人は必ず死ぬということも、いつもどこかで覚悟しながら、毎日を生きてきたつもりだから。
 
それでもやっぱり怖くなって、検査の前日の夜、妹分でありながら、がんの受け止め方については上級エキスパートと思って勝手に崇めている山下弘子ちゃんにこっそり電話をして、不安な気持ちをぶちまけてアドバイスをもらって泣いて、気持ちを落ち着かせて、まさに「人事を尽くして天命を待つ」というような祈るような気持ちで眠りにつきました。
 
そして、おととい9日(金)。
 
この日は、本業の仕事は夕方出勤深夜まで勤務の遅番で、午前中は、マギーズ東京のお隣にオープンしたランニングステーションのオープニングセレモニーに出席。
 
晴れの場で、2020に向けて・・・という言葉を聞く度に、2020に向けて協同していきましょう・・・なんて言葉を自らも発しながら、実は、私は2020まで生きていられないかもしれない、と弱気になって心が泣きそうになっていたりもしました。
 
そして、このセレモニー後、お隣のマギーズ東京に寄ってこの日ボランティアで常駐している(何も知らない)母に会って深呼吸して心を落ち着かせ、午後1時からは、来年から始まる新しい仕事のための研修へ。
実は、最近人事異動の発表があり、1月からキャスターを兼務することになり、そのための発声や原稿の読み方の研修でした。
 
入社以来10年間、記者とディレクターしかしたことがなく、キャスターの「キ」の字を自分から希望したことも打診されたことも一度もない中での突然の内示だったので、自分でも耳を疑うサプライズ人事。
先月初めてその話を聞いた時は腰を抜かしそうになって、個人的には今そのタイミングじゃないかも?!失言して社会的に抹消されたらどうしよう・・・なんて怖く思ったこともあったけれど、最近は中継をする度に同じ病の人たちなどから「励みになります」「応援しています」などと連絡をいただくようになって私自身の励みになっていたし、なんだかこれまでの仕事だけでなく、健康面でも合格!と認めてもらえたような気がして嬉しくて、今月になって研修を受けさせてもらったり、スタイリストさんと顔合わせをしたりしているうちに、やる気になってきていました。
それに、どんなに失敗してしまっても、生きている限り、挽回できるじゃない!と。
 
でも、もし、今日病気が分かったら、1月からこの仕事はきっとできなくなる。
治療は働きながらするつもりだけど、治療方針が決まって始まってみないとなにも分からないし、きっとまず抗がん剤で髪の毛が抜けることになるだろうし、治療中の体力を考えると月から金まで通しでできると責任と自信を持ってはいえない。
でも、始めてすぐにおりなくてはならなくなったら、一番迷惑がかかるし、変に憶測を呼んだり、不安を煽ってしまいそうでもある。
ということは、検査の結果次第では、新しい仕事を始める前に、可能な限り早くできない可能性を言わないといけなくて、そうなるとせっかくの新しい仕事も、そのための研修も準備も、意味がなくなってしまう・・・
 
そんな風に思って、また少し泣きそうになるのをこらえながら研修を受けていました。
 
そして、午後3時に研修が終わっても、相変わらず胸は痛くて張っていて、しこりに触れるような感覚にも変わりがなかったので、意を決して、遅番の出勤までの間の時間に、いつもの主治医の先生のいる病院に行ったのでした。
 
もしものことがあったら、今の色々が少しでも中断されてしまうのは、本当に本当に悔しい。
でも、もし、もしものことがあっても、どんな結果だとしても、今の生活は最大限続けながら、落ち着いてひとつひとつ淡々と、最善を尽くしていこう。
現実は変えられないから、対応していくしかない。
その中でできなくなることがあっても、失うことがあっても、何よりも命を最優先して決めるという軸だけはぶれないようにしよう。
また、自分できちんと消化できるまでは心配をかけるだけなので親や会社には言わず(8年半前、がんを告知されたその場で号泣しながら母や上司に電話したときから考えると、少しはオトナになったかもしれません・・・)、とりあえず検査後、午後6時からの遅番勤務にはいつも通り出勤しよう。
 
「鈴木さん、どうぞー!」
 
そう心に決めて、涙が出そうになるのを深呼吸でかき消して、診察室に入っていきました。
 
《後半に続く》
 
 
今回感じたことをきちんと残しておこうと思い、マギーズ東京がオープンした日から一度も更新できていなかったブログに書き出してみたら長くなってしまいました。
今はこの金曜日の遅番明けでマギーズ関連の行事と会議に出てからの土日泊まり勤務明けのままマギーズ関連の行事と結婚式、披露宴に出た後という状態で、急に今にも寝てしまいそうなくらい眠くなってきたので、前半で切って、今夜は早めに爆睡することにします。